第3回「般若心経をやさしく解説」

仏教メモ

 般若心経は、日本では天台宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗、浄土宗など多くの宗派で広く読まれるお経です。正式には、「魔訶般若波羅蜜多心経」と言い「とらわれのない大いなる安らぎの境地に至るための教え」という様な意味になります。

 字数は全部で300字足らずと、非常に短くシンプルにまとめられていますが、仏教の根本的な考え方が説かれています。わかりやすく解説していきましょう。

観自在菩薩行深般若波羅蜜多 時照見五蘊皆空度一切苦厄

 観自在菩薩は、大いなる安らぎの境地(悩み苦しむ現実から自由で理想的な幸せの境地)に至るための智慧の実践(修行、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)をしているとき、人間は五つの要素(色、受、想、行、識)から成り、その五つは、全て、「空」、すなわち「実態が無い・永遠不滅で変化しないものでは無い」ことを悟り、あらゆる苦しみや災いから救われる方法を説きました。

舎利子色不異空空不異色 色即是空空即是色受想行識亦復如是
舎利子是諸法空想 不生不滅不垢不浄不増不減

是故空中無色無受想行識 無限耳鼻舌身意無色声香味触法
無限界乃至無意識界無無明亦 無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無知亦無得

 皆さん、色(身体)は、全て実態がないのです。実態が無いものが色(身体)を作り出しているのです。すなわち、形あるものは全て実態が無く、実態が無いものが色(身体)を作っているのです。だから、受(感覚)想(想い)行(意識)識(認識)の四つの心の動きも、全て実態がないのです。

皆さん、この世の中の全ての存在は空であり、実態がないのです。実態がないから、それは生れることもなく、亡くなることもない。よごれていることも、きれいでもない。増えもしなければ、減りもしないのです。

 したがって空が構成するこの世では、形あるものの実態は何もなく、心の四つの動きである、感覚、想い、意志、認識にも実態がない。そして、感覚器官である、眼、耳、鼻、舌、身体、心にも実態はない。また、形も、音も、香りも、味も、触覚も、心に感じることも、何も実態はない。
眼にみえる世界から意識の世界まで永遠不滅の実態は何一つ無いのです。

 だから、迷いもなく、迷いが無くなることもない。さらに、老いることも死ぬこともなく、老いと死がつきることもない。苦しみや、苦しみの原因もない。苦しみから離れる手段もなく、苦しみを制する方法も無い。元々、何もないのだから、知ることもなく、得ることもないのです。

以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多
故心無圭礙無圭礙故 無有恐怖遠離一切転倒夢想究境涅槃
三世諸仏依般若波羅蜜多 故得阿耨多羅三藐三菩提

 悟りを求める人は、安らぎの境地に至る智慧の実践をよりどころとしているから、心にわだかまりがない。とらわれることも、恐れることもない。全ての迷いから遠く離れているから、心は永遠に安らかなのです。

 過去、現在、未来の仏たちも、安らぎの境地に至る智慧の実践をすることで悟りを得ることができたのです。

故知般若波羅蜜多 是大神呪是無上呪是無等等呪
能除一切苦真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝菩提僧莎訶
般若心経

 だから、大いなる安らぎの境地に至る智慧の実践こそが、真実の言葉、悟りの言葉、最高の言葉で、一切の苦しみや虚しさを取り除いてくれるのです。
 そこで、この安らぎの境地に至るための、真実の言葉とは、

「行こう、行こう。とらわれのない安らぎの境地へ。みんなそろって行こう。」

 以上が 「とらわれのない大いなる安らぎの境地に至るための教え」 般若心経なのです。 

*本内容は、一般の皆様にもご理解頂きやすいよう加筆や省略をしています。
 個人的解釈としてご了解下さい。 承碩 拝

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