第4回「却瘟神呪をやさしく解説」

仏教メモ

 亀岡市佛教会が感染症終息祈願で読む「却瘟神呪」(ギヤクオンジンシュウ)は、「仏説却温黄神呪経」というお経の中に出てきます。その意味や背景を個人的な立場から分かり易く解説してみます。

 仏弟子である私は、師匠の仏陀から次の様に聞いた。

 あるとき仏陀は、王舎城の竹林精舎に出かけ、弟子たちを集め説法をされた。その時、維耶離国では疫病が大流行していて、その凄まじさは燃え盛る大火事のようであった。亡くなる人は数え切れず、逃げ場も治療するすべも無かった。

 その時、阿難は、膝をつき合掌して仏陀に「あの維耶離国では、疫病が大流行しています。どうかあの疫病を封じ込め、多くの人々が苦痛から逃れられる良い方法をお教え下さい。」とお願いした。

 仏陀は、阿難に「その疫病は、七人の鬼神がいて、常に毒(ウィルス)をまき散らし、多くの人々を苦しめているのです。もし人が毒(ウィルス)に感染すると、頭痛がして寒気や高熱により身体の節々も激痛が走り、言葉に出来ないような苦しみがある。しかし、もしその鬼神の名前を唱えたらなら、毒(ウィルス)は、(自分の正体を見破られた、と勘違いして)危害を加えなくなるでしょう。私は貴方たちに、その鬼神の名前を教えましょう。」と言った。

 阿難は、「どうかその鬼神の名前をお聞かせ下さい」

 仏陀は、「もし貴方たちが、鬼神の名前を呼んで鬼神を鎮めようとする時は、まず次のように唱えなさい。」

 南無仏陀耶 (ナムフドヤー・仏に帰依します)
 南無達磨耶 (ナムダモヤー・法に帰依します)
 南無僧伽耶 (ナムスンギャーヤー・僧に帰依します)
 南無十方諸仏 (ナムジーホーシブー・十方の諸の仏に帰依します)
 南無諸菩薩摩訶薩 (ナムシブーサーモコサー・諸の菩薩、摩訶薩に帰依します)
 南無諸聖僧 (ナムシーシンスー・諸の聖僧に帰依します)
 南無呪師 (ナムシューシー・呪師に帰依します)

「これから、貴方たちに教える神呪は、その帰依する気持ちと強い願いによって始めて効力を発揮するのです。そして次にこう唱えなさい。」

 沙羅佉 (サラギャー・ご遠慮下され)
 沙羅佉 (   〃   ・     )
 沙羅佉 (   〃   ・     )

続いて仏陀は、次のように呪文を唱えた。

 夢多難鬼 (ムトナンキー)
 阿佉尼鬼 (アギャニキー)
 尼佉戸鬼 (ニギャシーキー)
 阿佉那鬼 (アギャナキー)
 波羅尼鬼 (ハラニッキー)
 阿毘羅鬼 (アビラーキー)
 波提犂鬼 (ハーダイリーキー)

「これが七鬼神の名前で、呪文でもあるのです。もし、疫病に遭遇した時は、必ず七鬼神の名前を呼んだあと、

 疾去 疾去 (シッコー シッコー・直ぐ立ち去って下され、立ち去って下され) 
 莫徳久住  (マクトククジュウ・長くここに留まらないで下され)

 と、唱えなさい。そうすると感染した人々の身体からは、毒(ウィルス)が消滅し、病気も良くなることでしょう」

と弟子たちに説いた。

< 以下省略 >

*本内容は、一般の皆様にもご理解頂きやすいように加筆や省略をしています。
 個人的解釈としてご了解下さい。

*これは、約2500年前、釈迦 ( 仏陀 )が活躍した以前から感染症の流行がいかに人々を苦しめていたかを伺う貴重な歴史的資料でもあると思います。

 いま、感染症は世界に広がってしまいました。目に見えず、対処法が分からず、死と直面する感染症を恐怖や不安に思うのは今も昔も全く変わりません。この仏陀の言葉は、現代に生きる私たちにも大いにヒントになると思います。

 人間より遥かに大きな力を持つ自然や病気と真正面から闘うのではなく、少し謙虚な気持ちになって「私たちに感染しないようにお願いする。同時に自分たちの出来る事をしっかりやっていれば、何時か終息し、安全安心な日常生活を取り戻すことが出来るはずだ!」こう考えると気持ちが少し楽になるのではないでしょうか。

 感染症と人類の歴史は何1000年にも及びます。「これからも、共存・共生して行くんだ」と云う位の、大らかな気持ちで日々過ごしたいものです。 承碩 拝

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