ありがとうの心

な~む法話

 どちらを向いても花盛り、野に山に庭先の花壇に競って咲いていて百花繚乱のよい時節を迎えました。大いなる生命がまた動き出しました。

 こんな時節は野に山に川に海へとこぞって出かけて行きますね。大自然の中に身を置くと日頃のストレスもどこかへすっ飛んで身も心も軽くなる思いがします。

 自分の生命をはるかに超えた大いなる生命を感じます。

 それは赤ちゃんがお母さんの懐に抱かれるような、手ばなしで身も心を預けられる安心感があるように感じます。

 それは大いなるものに、生かされている自分に気付くのだと思います。

 ストレス充満の現代社会、癒してくれるのはワンちゃん、猫ちゃんらペットです。

 ワンちゃんが死んで近所の人が香典をもってくるという話を聞きました。また、家の主人が亡くなった時より悲しいなんていう奥さんもいらっしゃるとか。なんとも笑えないお話です。

 私たちのストレスの原因のひとつには自分勝手を自由とはきちがえてしまったことがあると思います。

自由にギターを弾きなさいと言われてチューニングもせず、ドレミもコードも知らずに自分勝手に弾いたのではうるさいだけのただの雑音で、周りの迷惑となるだけです。

 やはりきちんとチューニングして、ドレミもコードも憶えて初めて自由に音を奏でることができるのです。

 やはり私たちの生活も、世の中の常識、ルールをきちんと憶え使いこなせて初めて自由な生活が手に入るのだと思います。

 そんなこと誰でも知っているよといわれそうですが、実際にできないのが私たちですよね。

 それを可能にするのが私は「ありがとう」の心だと思っています。

 大いなる生命に支えられその中に生かされていると気付くと感謝の心が生まれてくる。

 感謝の心が起こると謙虚になる。謙虚な心が起こると思いやりの心が生まれる。思いやりの心ができると「ありがとう」と素直に言える自分になる。

 大いなるものによって私も、あなたもともに生かされて生きています。

 「ありがとう」の心でもっと潤いある社会にしていきたいものです。

(徳雲)

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