宗教ってなんでしょう
お釈迦さまの話をする前に、まずは、宗教、仏教というものお話してみましょう。
日本人は、宗教観がだらしない。外国の人々からよく指摘されます。赤ん坊が生まれたら、神社にお参りし、結婚はキリスト教の教会ですませ、死んだらお寺でお葬式。大半の人は、無宗教だと言われています。例え、家が仏教だったとしても、お坊さんがお参りに来る以外、仏教というすばらしい宗教に触れることがないですよね。さらに、お坊さんがお参りしても、訳の分からん、本当にありがたいのか、ありがたくないのか、意味不明のお経を読んで、お布施をもらって帰っちゃう。仏教のお坊さんというより、ただの、お経屋さんですよね。恥ずかしい話ですが、とある、お坊さんに、今読んでいるお経は、誰が説いたお経ですか?と聞かれて、イエス・キリストです。と、答えたお坊さんまでいたとか。お坊さんに、お経を読んでもらったくらいじゃ、仏教に触れたとは言えませんよね。
また、お寺にお参りに行っても、仏像を見て拝んでも、本堂や書院や山門といった、伽藍を見て、歴史にふれて感動したり、仏像のお姿を見て、芸術的に感動したりすんであって、なかなか仏教という宗教、仏の教えというもに触れるわけではありませんよね。
しかし、よく考えてください。日本は、150年前まで、仏教国だったんですよ。日常生活、社会、あらゆるところに、仏教の教えが入ってます。街を歩いていると、小さな石のお地蔵さんが、みんなを見守ってますよね。それが、お地蔵さんであって、仏教の仏様だということは分かっていても、では、そのお地蔵さんが、どんな教えを説かれているのか、何故、頭を剃ったお坊さんの姿なのか、どういう因縁で、みんなを救ってくださるのか。なかなか、そんなところまで、首を突っ込む人はおりません。
そう思うと、ちょっぴり悲しくなっちゃいませんか?
私の愛用する広辞苑で、宗教という言葉を引いてみましょう。
神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰、行事。また、それらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズム、自然崇拝、トーテミズムなどの原始宗教、特定の民族が信仰する民族宗教、世界的宗教、すなわち仏教、キリスト教、イスラム教など多種多様。多くは、教祖、経典、教義、典礼などを何らかの形でもつ。
広辞苑
と、書いてありました。なんと難しい。これじゃ、誰も宗教に興味など示すはずがありませんよね。宗教とはもっと簡単なものですよ。もっと、身近なものですよ。もっと、人間が本来持っているものですよ。人が生きる上で、当たり前のものなんです。
お腹が空いたら、御飯を食べるし、眠くなったら布団に入って眠る。好きな人に出会ったら、恋をして、胸が痛くなる。当たり前のことですよね。宗教も全く同じで、当たり前のことなんです。
自分の信じる神様、仏様、また、万物の心、そういったものに対して、自分や、周りの人々が幸せであることを祈り、そして、そのために、清く正しく生きる。本来は、我々が生きているということ自体が宗教なのかもしれませんね。なんて、言っちゃうと、またまた難しくなりますから、別の機会にしましょう。
じゃあ仏教って何なの?
では、今度は、私の擦り切れた広辞苑で、仏教という言葉を引いてみましょう。
仏陀の説いた教え。世界三大宗教の一つ前五世紀頃インドのガンジス川中流地方に興った。仏陀釈迦牟尼の説法に基づき、人間の苦悩の解決の道を教える。アショーカ王の入信により、インド全土から国外へも広まった。仏滅後100年頃から部派に分裂し、部派仏教の時代に入ったが、一世紀頃、それに批判的な大乗仏教が興った。インドの仏教は、13世紀初頭に滅びたが、東アジア、チベット、東南アジアの各地において、現代に至るまで信仰されている。
広辞苑
仏教とは、広辞苑に書いてあるとおり、仏陀が説いた教えです。では、仏陀とは誰なのか。三択です。
- ゴータマ・シッダールタ
- お釈迦さま
- ほとけさま
難しいですか?1番は、釈迦族の王子、シッダールタ王子のことです。王子は、後に王位を捨て、修行の道に入ります。そして、悟りを開いて、心理に目覚めた人、つまり、ブッダ。となります。仏陀を音写して仏陀。その仏という字をほとけと読んで、ほとけさまともいいます。つまり、1番と3番は、同一人物でした。では、2番はと言うと、釈迦族出身の仏陀ということで、ゴータマ・シッダールタのことです。つまり、2番もまた同一人物です。
つまり、仏教とはお釈迦さまがお説きになられた教えのことなんですよ。って、それくらいは知ってるよ。って、しかられそうですが、そのお釈迦さまが、紀元前463年4月8日、今でいうところのネパールのカビラ城の近く、ルンビニという花園でお生まれになられて、80歳でお亡くなりになられた。となると、知ってる人も少なくなっちゃいますよね。
お釈迦さまの生まれたインドって?
このコーナーの主人公、お釈迦さまの話はまた次回から詳しく話すとして、今回は、そのお釈迦さまが生まれた、当時のインドという国の時代背景の話をすることにしましょう。
歴史の教科書に必ず出てくるのが、四大文明です。エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明と、インドのインダス文明。紀元前3000年から1500年頃の文明とされ、モヘンジョダロ、ハラッパーの遺跡の名前は、テスト前に徹夜で暗記したでしょ?
その後、アーリア人の征服によって、インドの文化は大きく変貌することになります。ヴェーダという経典群によって、社会、思想、文化が発展していきました。以後、このアーリア人たちの慣習が、3000年以上もの間、インドを縛り付けることになるんです。
これまた、テスト前に一夜漬けした、カースト制度。有名ですよね。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、スードラ。この四つの階級が存在する身分制度。
バラモンとは、宗教上の神官。今で言うなれば、私たちお坊さんですよね。この時代のインドに生まれていれば、私たちお坊さんは、身分制度の一番上だったんです。日本の社会では考えられませんよね。他の国ではあった話なんですよ。ヨーロッパを見ても、ローマ法王が、皇帝より力を持っていた時代がありました。法王が皇帝を任命する時代。宗教が、社会の中核だったってことです。しかし、何故か日本では、地方の大名程度の教団まで大きくなれたことはあっても、、なかなか、幕府の将軍さまのように、日本を統一したお坊さん、教団はいません。それがまた、仏教のいいところだと思います。
クシャトリアは、貴族や戦士の階級です。国王から、一般の兵士まで、大きく分けると、この階級にあたるわけです。国王ですら、2番目の階級ですから、インドという国の宗教の影響力というのは、並はずれなものですね。今の日本でいうなら、総理大臣を筆頭に、政治家、会社の社長、俳優や歌手などの有名人と呼ばれる人たちでしょうか。
ヴァイシャは、平民。つまり、一般の人たちです。サラリーマン、お百姓さん、今、はやりのフリーターもこの階級になりますよね。労働をしたり、ものを作ったり、サービスをしたり、実際社会を動かしている、一番多い人たちです。でも悲しいかな、カースト制度では、その下に、もう一つ階級があるんです。
スードラです。奴隷、とか隷民とか訳されます。アーリア人たちによって、征服された、先住民たちです。
しかし、1949年の憲法施行により、カースト制度というものが、書類上から消え去りはしたものの、未だに社会の中には深く残っているそうです。
しかし、こんな社会に対して、大きな疑問を持つ人々も現れました。本当にこれでいいのだろうか。これが真実のなのだろうか。真の幸せとはなんだろうか。それは、優遇されていたバラモンたちの中にも、そんな人物は現れましたし、クシャトリアや、ヴァイシャといった身分のものの中にも、自ら髪を剃り、出家して、苦行をして世界の心理を見つけよう。そういう人物が多く生まれました。
これらの人々によって、バラモンの教えの他にも、様々な思想、哲学が生まれ、さらにそれらが切磋琢磨されて、より、多種多様の思想、哲学へと発展していったのです。
こうして、世界を救う、お釈迦さまが、世に出てこられる準備が整っていったのです。
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