花まつりの由来

花まつり

花まつり」の発祥の地はドイツ??

 どうして 「花まつり」と呼ばれるようになったのでしょうか?

 これはそんなに古くなく明治時代末頃から使われたようです。

 明治34年(1901)4月ドイツで留学中の僧侶と学生達がベルリンのホテルで金屏風の前で誕生仏を花で一杯に飾り付けました。それまでも同じように花御堂を花で飾ってお祭をしていたのですが、それらを見たドイツの人々達はそれを「ブルーメン・フェイスト(花まつり)」と呼んだそうです。

 それらが現在の「花まつり」の呼称のはじまりとも言われています。

 当時、講演会や演奏会が催され大きなパーティが開かれたことが記録に伝えられています。

 ドイツで「ブルーメン・フェイスト(花祭り)」と呼んだことにちなんで日本でも次第に「花まつり」と呼ばれるようになり、明治43年には「花まつり」が釈尊降誕会の名称として採用され、昭和5年には日比谷公園で実際に「花まつり」として灌仏会が行われています。一般の人々になじみやすい名前ということから付けられたようです。

なぜお花なの?

 潅仏会にはなぜお花を飾るのでしょうか。

 先ほどの花御堂のところの説明に少し足してお話ししたいと思います。

 お釈迦様の誕生ののち7歩あるかれたときにその足跡から蓮華の花が咲き、周りの草花が花を咲かせ、多くの動物が祝福しその回りに集まってきた事が伝承されています。

 こういったことが花を飾ることになるわけですが、もう一つ別の理由もそこに存します。

 それは4月8日が花供養の日でもあるからです。

 花供養というのは仏教の儀式でお釈迦さまの舎利(骨)を供養する法会を言います。

インドや中国でも行われていた行事ですが、日本では特に天台宗の慈覚大師円仁(794~864)の舎利供が特に花供養舎利会として伝えられています。

 本来、舎利会ですから涅槃会に関わる行事で灌仏会とは関係ないようですが、実は大きな関係があります。

 実際この舎利会が何時行われていたかをみると卯月八日に行われている事が解ります。卯月八日はまさに灌仏会の日であるわけで大永六年(1526)天文三年(1534)などの仏誕生日などにその法要が行われています。

 舎利はお釈迦さまの生身を表すものと理解される訳ですから、その誕生を祝う法会として舎利会が行われ花供養が勤められる事になるのです。ここに花御堂を飾るだけではなく、花を供え供養する法会としての意味も重ねて含まれることになり、灌仏会が花まつりへと呼ばれていく、もう一つの意味があるように思われます。

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