お釈迦さまの誕生とその伝承

花まつり

お釈迦様の誕生

 お釈迦さまはルンビニー園(現在のバスティ地方のドゥルハの東北、ネパールとの国境に近いパダリヤという村)というところで誕生されました。

 のちにはアショーカ王の石柱が発見されていますが、その石柱には
・・・神々に愛せられ温容ある王(アショーカ)は即位潅頂ののち二十年を経て自らここに来てまつりを行った。ここでブッダ・シャカムニは生まれたもうた・・・云々
と刻まれています。

 このときにお釈迦様の誕生を祝っておまつりが行われていたことは非常に嬉しい気持ちになります。このアショーカ王のおまつりは歴史的年代のハッキリしている最初の佛生会(花まつり)といえましょう。

お釈迦さまにまつわる伝承

 釈迦様の誕生に関する伝承を少し紹介したいと思います。

【伝承①】

 「スッタニパータ」というお経にはこのように伝承されています。

 三十人の神々が喜び踊っている姿をみたアシタ仙人が神々に問いました。

 「何故そのように喜んでおられるのですか」

 すると神々は答えました。

 「無比の妙宝であるかの菩薩が諸人の利益安楽のために人間世界に生まれたもうたのです、シャカ族の村に、ルンビニーの聚楽に。だから我々は満足し、非常に満悦しているのです。」

 それを聞いたアシタ仙人は急いで人間世界に降りてきて、シャカ族の宮殿に行きいいました。

 「王子は何処にいますか、私はお目にかかりたい」

 人々は王子をアシタ仙人に見せ、アシタ仙人は幸福に光り輝く子どもの顔を見て大いに喜びを得る事ができました。

 その時に神々は千の円輪ある傘蓋(かさ)を空中にかざし黄金の柄のある払子を扇いでいました。アシタ仙人は子どもを抱き取って

 「これは無上の人です。人間の最上者です」

 と声を挙げて叫びました。

 そして「この王子は正覚(さとり)の頂きに達するでしょう」 との預言をしました。

 そして後にお釈迦様はアシタ仙人の予言の通り悟りを得、ブッダと成られたのです。

【伝承②】

 『修行本起経』というお経にはこのように伝承されています。

 明星の輝いている時、マーヤ夫人が満開に花を咲かせている樹に手をかけた時に、お釈迦様は生まれられ七歩歩いて手を掲げて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」といったと伝え、その時、龍が香湯を雨降らしてその身にそそぎ、天からは香と花が舞い降りて、諸天が天蓋を童子にかけたとも伝えています。この伝承はたくさんの経典に伝承されています。

 こうした伝承に基づき、お釈迦様の誕生の時の様子を表現し花まつりが行われているのです。

「誕生仏」は七歩あるいて天上天下を指さしたお姿を表しています。

「甘茶」をかけるのは、龍が水(甘露の雨)をそそいだ事に基づき、

「花御堂」もルンビニーの林の無憂樹の花が咲き、多の色んな花がその誕生を祝って咲いたことと、天蓋をかけている事を表しています。

 また各地で行われている「天道花」も神々が誕生を祝い、傘蓋をかざしたことに元々因んだものだったのです(民俗学者の別の意見もあります)。

 このような伝承を見ていくと仏事の本当の言われが解ってくるように思います。

お釈迦さまのお生まれはいつ?

 お釈迦さまの年代特定には諸説があります。

 古代インドは歴史的な記述を明確にしなかったことや暦法〔こよみ〕や、言語の変遷、文字の変遷など、時代により場所により異なり特定が難しくしているようです。そういったことからお釈迦様の年代をどの年代に特定するかは色んな説が存在しています。その主なものを列挙すると次のようになります。

①紀元前624~544

 南方仏教諸国ではお釈迦様の入滅(涅槃)を紀元前544年としています。お釈迦様は80歳で亡くなられますので誕生を紀元前624年としています。この説に基づき1956年から57年にかけて入滅2500年の記念式典が諸国で盛大に行われました。

②紀元前563~483

 スリランカの古い伝承の中に見られる説です。

③紀元前566~486

 『衆聖点記』に基づいた高楠順次郎博士の説

④紀元前466~386(補説 紀元前463~383)

アショーカ王の年代に基づく宇井伯寿博士の説(補説 中村元博士の説)

等の所説があります。

 歴史的な記述をしなかった古代インドでは、その年代を定めるのはなかなか難しいようですが、1971から4年にかけてインド考古局が発掘したピプラーファーのストゥーパ(塔)の地下から舎利容器が見つかり、紀元前4~5世紀のものであることが確認されているので④の説が妥当かもしれません。

 このピプラーファーの僧院跡から発見された別の容器には「カピラヴァストゥ」、つまりシャカ族の城のあったところの名前が刻まれており、ここがカピラヴァストゥではないかという説が出てきています。

 カピラヴァストゥについてはもう一つ有力な説が存在しています。

 それはティラウラ・コットです。

 ルンビニーの西15キロに位置する場所で玄奘の記録に近い一に城郭遺構が発見され時代的にもお釈迦様の時代と一致した意向であることが確認されています。

 こうしたことから次第にお釈迦さま当時の遺構が発掘され、その姿が明らかになってきています。

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